Github の芝を緑に染め上げた

去年の4月末、ふと「Github の Contributions の芝を出来る限り生やし続けてみよう」を思い立ってから約1年。とうとう自分の Github の Contributions が緑に染まった。

同じことをやっている先人はたくさんいるが、実際に自分で1年やってみて思うところを書き出してみる。

なぜ始めたのか

去年の4月頃にこの記事を見かけ、それに加えてたまたま達人プログラマーや SOFT SKILLS を読んでいた。
で、自分のアウトプットの少なさになんとなく焦りを感じ、せめて目に見える形で手だけでも動かし続けようと思いたち1日1 contribution 以上を目標に始めた。あと github.com の芝生を埋め尽くすの達成感ありそうだなー、という短絡的な理由もある。

どうやって継続することができたか

プライベートの Github アカウントなので、平日も意識して commit する時間を取らないといけない。夜は仕事で疲れた日だとなかなか手が動かないし、うっかり飲み会が長引いたりすると commit する時間そのものが無くなる可能性もある。
ということで、平日は出勤する前にコーヒーを飲むのも兼ねて30分コードを書く時間を取るようになった。この生活リズムは実施のかなり早い段階から今でも続いている。

あとそもそもの話として、自分が何かを埋める行為が好きなので、そもそもこの活動に向いていたのかもしれない。コンパイラや linter が出した大量の warning/error を減らしていくのはわりと好きだし、ゲームでもプレイヤー間のレーティングやランキングよりも、トロフィー・実績などの達成率を100%にする方に執着することが多い。

続けてみて思ったこと

まず先にやっててよくないなと思ったこと

  • 忙しい週だったりすると「この変更の commit は明日の為に取っておいた方がいいのでは?」という邪念が生まれる
  • 「アレコレ考えた末に辿り着いた1つの commit」よりも「View をちょっと変えただけのしょぼい複数の commit」の方が芝生の色を濃くするのを見ると「contribution とは一体……」という気持ちにならなくもない

要するに「芝生を埋めること」を意識しすぎてしまうということ。
先人達のブログにもあったが、気を抜くと「芝生に埋める」という行為自体を目的としそうになり、更にそこへ心の弱さも相まっておかしな方向にいきかねない。 この1年でこの活動をやめようと思ったことはなかったが、「今日はもうこれでよくね?」で雑な commit で済まそうと思ってしまったことはあった。というか多分見直すと実際にあるはず。(心が弱い……)

一方、やってみてよかったこと

  • 常に何か commit しないといけないので、日常的に作りたいものを考える癖がつく
  • 生活サイクルにプライベートの勉強/アウトプットの時間を取り込める
  • 芝生の濃さはアウトプットの質にも量にも直結しないということも身をもって認識できた
  • 日に日に埋まっていく芝生を見ることで、雑だろうと「コードを触り続けてる」という自己肯定感が持てる

……こうやって書いてみるとやっぱり「芝生を埋めたい」という気持ちが先行している気がするが、最後の自己肯定感を得られるというのは結構大きなメリットだと感じた。 今のアウトプットはお世辞にも満足していいレベルではないが、それでもモチベを高めるための小さな成功体験としてはいい試みだったと思う。

これからどうするか

気の持ちようで良くない方向へ向かうこともわかったし、芝生の色そのものにアウトプットとして本質的な価値があるわけではないことも重々認識できた。

だが、手を動かし始めるのが遅い自分にとって、手を動かすきっかけ自体の価値はとても高い。なのでいささか目的が逆転しているのは自覚した上で、もう暫くは続けてみようと思う。

いずれ本当に価値のあるアウトプットによって芝生に色を付けられるようになっていきたい。